【神社巡り】御岩神社(茨城県日立市)
運ゲ(リンク先のやつ)と一緒に御岩神社に行ったんですよ。十月二日に。
それからブログの更新が四か月近くも滞っていますが、一体何をしていたんでしょうね。神社の写真はいっぱいあるんですが…。
写真のストックが増えすぎるとやる気でないから、そのうち御朱印1つにつき1記事にするのやめてダイジェストでお送りするかも。
ネット上で日本最強パワースポットとか、宇宙から山頂の石柱が光って見えたって都市伝説があるとか言われてるのはちょっとどうかと思うけども…。
由緒の話はちょっと難しいんだけど、別の神社関係者に聞いた話ではもともとは寺だったらしい。いつからあるのかは不明。
神社の格って927年の延喜式がよく重要視されますが、茨城県には721年に作られた常陸国風土記というのがあってですね。十章でかびれの高峯には天つ神の社があるとされていて、古くから信仰があることが分かります。
wikipediaなどからざっくり調べるとこんな感じ? 個人の憶測が混じります。
1.721年より前からかびれの峰では立速男命(たちはやおのみこと)信仰があり社が存在した。立速男命は速く光るものという意味から雷神と考えられているらしい。常陸国風土記にのみ記載される神。茨城県独自の神といっていいでしょ。魅力的だな!!
2.788年に立速男命を祀る薩都神社が松澤というところに建てられる。800年にかびれの峰に遷座。806年に山が険しいため小中島というところに遷座。このとき、かびれの峰の薩都神社はそのまま奥宮として残ったと思われる。927年の延喜式では薩都神社は式内社として扱われる。
3.この間年代不詳だが御岩神社の前身となる寺がかびれの峰の薩都神社の奥宮を含む敷地に建てられる。
4.江戸時代に歴史研究大好きな水戸藩の初代藩主頼房がかびれの峰を水戸藩の国峰に定める。このとき出羽三山(阿弥陀如来・正観世音菩薩・大日如来)を勧請した。後に第2代藩主の光圀が大日如来を本地仏とした御岩大権現と改称した。さらに第9代藩主斉昭が敬神廃仏の方針から神仏分離を行い御岩神社とした。
5.明治時代の廃仏毀釈により大日堂、仁王門などが取り壊される。
御岩神社の主祭神は国常立尊・大国主命・伊邪那美尊、かびれ神宮では天照大神・邇邇藝命・立速日男命となっている。出羽三山において大日如来と同一視されることがある大国主命、正観世音菩薩と同一視されることがある伊邪那美尊について分かるが、国常立尊の由来がよく分からない。前身の寺で薬師如来を祀っていたのだろうか? さらに御岩山全体で188柱の神が祭られているそうだが由来については不明。取り壊された仁王門が平成になって再建されるなど、元々の信仰が根強い土地なのかもしれない。
御岩神社
社務所~三本杉
割と早い時間に着いたはずだが、鳥居そばの駐車場はほぼいっぱいだった。御神木の三本杉(推定樹齢500年)はとても立派。楼門~御岩神社
楼門の先、歩道の脇は苔に覆われていて自然を感じられる。
表参道~かびれ神宮
山頂への道はあまり舗装されておらず高齢者じゃ無理ではと思うレベルだった。雨のあとだったこともあってなかなかにつらかった。なお運ゲはかびれ神宮のちょっと上の高台で音を上げた模様。ざこつ!!(雑魚乙の略)
御岩山頂
かびれ神宮までの道とそこから山頂までの道は体感同じ程度の長さに感じた。山頂では壮観な景色が広がる。まあかびれ神宮のちょっと上の高台とあまり変わらないけど…。祠の後ろに石柱がある。山頂の先(高鈴山方面?)もちょっと進んでみたけど適当に進むと道が分からなくなりそうな雰囲気があった。
薩都神社~帰り道
薩都神社の参道は木の根でぼこぼこしてて趣がある。帰り道では小さい動物の置物に気づいた。もう一度山頂まで登りたいかと言われると微妙だが、境内の自然に癒されたような気がした。
御朱印
かびれ神宮の御朱印もあったけどこちらだけ頂いた。
鯨荘 塩町館(常陸太田市)
常陸太田といえば常陸秋蕎麦が有名なので食べてみることにした。有名な慈久庵という店の弟子がやってるお店らしい。ここも人気がある。慈久庵は若干遠いのでまたの機会に。店内は広々としていたのでコロナ禍でもおすすめ。普段はあまり店で蕎麦食べないけどお上品な味だった。葱天せいろそば1700円。